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谷村省吾氏「物理学者が観た哲学」は谷村省吾氏(物理学者側)の敗北か
大金(2025)の最後の引用文献の谷村省吾氏の物理学者が観た哲学のpp.13に記載されている物理的状態に帰すことのできない意識状態があるか?の章にある我々の身体は物質であり、分子・原子・電子で構成されており、それらのもととなる素粒子は物理学者によって完全にリストアップされており、すべての素粒子の物理的性質はこれだけしかないというリストもそろっており、すべての素粒子の状態変化は重力・電磁気力・強い相互作用・弱い相互作用という4種類の相互作用によってのみもたらされるということもわかっており、それら相互作用の数学的法則も(重力だけは古典物理の法則で、他の3 種類は量子物理の法則という形で)知られていて、相当の精度で実験実証されている。もしも素粒子たちが、物理学者たちがまだ知らない性質を持っていたら、理論の予測値は実験測定値からずれているはずである。つまり、何であれ、この世界のものが物理的状態ではない何らかの状態をとるとか、どのような物理法則でも説明のつかない状態変化を起こすとかいった余地は、考えられない。あったとしても、物理学者はそれを「未発見だった物理的状態」か「未発見だった相互作用」と呼ぶだろう。
今日、「未発見の物理的状態」は、そんじょそこらで見つかるものではない。超伝導状態やトポロジカル絶縁体状態などは新奇の物理的状態として珍重されたが、それでも既存の「素粒子と相互作用のリスト」からはみ出すような発見ではない。ニュートリノ振動は物理学者も思いもよらなかった物理的状態の変化であるし、素粒子の4 種類の相互作用についての既存の最も単純な理論の枠組みには収まらない現象だが、物理的状態としては捉えられないような何ものかではないし、理論をちょっと改造すれば数学的に記述可能である。現代物理学において、物理的なありようが不明なものは、ダークマターとダークエネルギーくらいのものだろう。これらは宇宙規模の存在であって、地球上の人間の材料ではない。今後も物理学上の新発見は続くだろう。既知の物理理論の不備が見つかることもあるだろう。しかし「どのように物理理論を修正しても物理系の物理的状態とは捉えられないような新現象」が見出されるとは、とても思えない。そのくらいのレベルまで我々は物理学に自信を持っている。
人間は、素性のよくわかっている平凡な物質でできている。人体の、原子レベルの構成要素は、炭素・水素・酸素・窒素などのごくありふれた元素である。生体の内部だからと言って、既知の物理法則が通用しないわけではない。DNA も細胞膜電位の活動も、通常の量子力学と化学の守備範囲に収まっている。光の正体は電磁波であり、匂いや味の正体は分子である。物理学者は絶大な自信をもって光と物質との相互作用の法則をすでに理解したと思っている。光が眼に飛び込んで網膜の受光細胞においてさまざまな光化学的反応を引き起こし、視神経・脳細胞の電気化学反応も引き起こしたあげく、最終的に、物理学では記述不可能な「非物理的意識現象」や「非物理的質感現象」を引き起こしている、とは考えられない。もしもそんなことがあったら、物理学者は現代物理学を根本から見直すべきである。匂いや味についても同様であり、現代物理学から逸脱する余地はない。私の主観的経験が電子のいかなる物理的状態であるかを同定するのは難しいとは言え、この体に既知の物理理論で記述されない物理的状態が現出することはとても考えられない。繰り返すが、人間が痛さそのものを感じたり、明るさそのものを感じたりしているときに、既知の物理系の物理的状態ではない何かが起きていると信ずるに足る科学的理由はまったくない。そのような大胆な「物理学者の見落とし」があるくらいなら、とっくにいろいろな「見落とし現象」が発見されているはずであるし、既知の物理理論は現実世界の説明において、もっとボロが出ているはずである。は今回判明した「物理学者が数式的に解明する事が不可能な周波数固有の音高以外の現象」で谷村省吾氏の敗北が立証され、今後量子力学などの物理学問題やクオリア問題は基本相互作用の修正問題、形而上学問題、時間と空間の哲学問題、科学哲学問題に置き換えられる。